2005年11月27日
18:49
高校生のとき、
僕は国連職員になろうかと思っていました。
当時から、人の役に立ちたいという思いが強く、
単純に国連だったら、より多くの人の役に立てるだろうという理由でした(笑)。
当時から、僕は他人にこういう夢を人に話すようにしてました。
高校を卒業し、一年パチンコ屋で働き、そして福島大学に入って、
1年生のときに地元に一度帰りました。
そのとき、高校3年生の時の同級生だった桑野君にお会いしたか、電話で話した記憶があります。
彼は、高校生のときから人当たりが良く、僕とも気さくに話をしてくれていました。
また、車が大好きで、高校を出て名古屋にある車の整備士になるための専門学校に通っていました。
僕に「大型トラックはつくりが複雑で難しいけど、その分やりがいがあるんだ」なんて言っていたのを覚えています。
彼は、僕にこう言ってくれました。
「ぴこ、おまえ、大学に入って浮かれてるんちゃうん?国連行くの諦めたんちゃうやろうな。」
僕が高校生だった当時、長尾高校で大学に行こうとする人は20%位しかいませんでした。
国立の大学を目指しているというだけで変人でした。
だから、わざわざ浪人までして、国立大学に本当に入った僕は、
やっぱり彼らとは別物として扱われていたのかもしれません。
みんなが「僕には無理です」って言う社会で、
おいらだけが「福島大学に行く」とか「国連に行く」とか「ノーベル平和賞をとる」とか言っていました。
だから、そんなことを言う僕には、「やっぱり僕には無理です」って言うことは許されない。
そういう意味を含めて、彼は「国連行くの諦めたんちゃうやろうな。」って言ってくれました。
大学生になって、相方を作っていたおいらは、ほんとに好きなことだけをやっていました。
すっかり国連に行きたいってことを忘れているような状態でした。
彼のこの言葉のおかげで、2年生の時に真剣に生きる道を、もう一度考えるようになりました。
そして、国連では、やりたいことが限定されて、むしろあまり人のお役に立てないのではないか、
大学教授のほうが多くのお役に立てるのではないか、と考えて、今の道を歩む決意をしました。
彼がこういう風に言ってくれたのも、
おそらく夢を追い求めて実現していくおいらに魅力を感じてくれていたからだと思います。
だからこそ、僕は、彼と会う時には、同じように夢を実現し、
次の夢を追い求める魅力のある人間でなければなりません。
いや、正確には、僕は夢を追い求めて実現する人間であったのです。
そしてそういう人間が僕の本来の姿なのです。
大学に入り、ニートのような生活をしていたおいらには、とっても貴重な言葉でした。
桑野君、本当にありがとう。
そして今でも、現実の世界でやる気を失った時、その言葉を思い出し、
夢を描いて追い求めようと、確認いたします。
ありがとう。そして、心の底から感謝です。